GAKUヒストリー14

まだ中学生時代の続きです!

病院では学校に合わせて一年に春夏冬と3回の長期休みがあった。

その休みに合わせて各個人で1週間ないし2週間の帰省ををしていた。

つまり一時的に帰宅外泊するのだ。

S病院で療養している患者さんは主に関東圏に住んでいた人達で遠い人では新島(東京都)から来ていた人もいた。

その他茨城県、埼玉県、栃木県などでだいたいの人は長期休みには帰省していたが、遠方の人は帰る事はなかった。

ほとんどの子が帰省するのを楽しみにしていた。

俺も一応北海道から千葉県に来たので帰省することができたのだった。

千葉県君津市の実家は社宅住まいで、当時親父は新日鉄で三交代で働いていた。

いつも親父が休みの日に病院まで迎えに来てくれていた。

だいたい1週間程自宅に帰省する。

家族水入らずで過ごすのは北海道では無かった事で、まるで借りてきた猫のように過ごしていた。

親父は三交代であった為、ものすごく気を使うことになった。

親父が寝ている時間はTVの音も小さくしたり、あまり騒がしくしないように気を使った。

お袋も夜9時頃から近くのスナックに働きに出ていたため、俺は9時には就寝し、その後にお袋は仕事に行っていた。帰宅は夜中の2時くらいであった。

たまに酔って帰ってきてしつこくしてくる時があり、そんな時は少し嫌だなと感じた。

俺と8歳違いの妹は小学生で、すでに俺と同じ病気を発症していた。

妹は小学校2年生までお袋が学校につきっきりで送り迎えをして通っており、普通学校に通っていた。この頃妹は自力で起き上がり、歩行も多少は出来ていた。


帰省した1週間は俺にとって唯一家族と一緒に過ごせる貴重な時間となっていた。

病院に帰る2日前くらいに、家族でイベント的に出掛ける事があった。

それは、近くのマザー牧場に行ってジンギスカンを食べたりしたのだ。

楽しい時間はあっという間に過ぎていった。

病院に帰る日が近づくと俺は過去の事を思い出していた。

北海道で病院に置き去りにされて何年間も会う事が出来なかった時の記憶が蘇ってくるのだ。

また家族と離れるという事に対して、その時の辛い記憶が蘇り、病院に帰るのがものすごく苦痛であった。

いくらお兄ちゃんなんだから!と言われてもそんな事は考える余裕がないくらい嫌だったのだ。

中学生になってからも病院嫌いは変わらず、悪態こそつかなかったが、不機嫌になったし落ち込む事が多かった。

家族と外出している時は車椅子に乗っている俺を近所の子供達は物珍しく見ていた。

中には、「変なの〜!」とか「なんでちっちゃいの!?」とか「気持ち悪い!」と言い出す子もいた。

それまで外の世界に出る事のなかった俺にとって人目に触れる経験がなかったから、そういった事を言われたり異質の目で見られたりする事に、怒りと憤りを感じた。

お袋に「なんであんな事を言われなくちゃいけないんだ!?」と言った記憶がある。

するとお袋は真っ赤な顔をして、子供達にどなりつけていた。

「あんたたちと同じよ!!!」

その後お袋は「ごめんね!ごめんね!」と泣きながら言っていた。


俺の病院での生活は単調でありながらも、時々イベント的な催しがあった。

得に印象的に残っているのは病棟内で行われるオセロ大会である。

職員と患者を含め総勢50名程で行われ、全てトーナメント制であった。

4回戦くらい戦い勝ち抜き戦だ!

俺は実はかなりの負けず嫌いな性格で・・・・・

負ける事は許されないのである。

よって、勝つ為の努力は怠らなかった!

コンピューター相手に対戦したり、一人オセロというものをやっていた。

つまり一人で相手役もやるのだ。結果は引き分けとなるが、いい練習になった。

練習の甲斐もあり、見事決勝戦まで進んだ!

そして病棟内で優勝!!!

最終戦はDrとの戦いとなった!

そして俺は・・・・・

みごとDrに勝利したのだった😜

Drまさかの敗北に照れ笑いしながら立ち去っていったのだった。

SMA なめんなよ!!!🐱😁

負けず嫌いの俺は勉強に関しても同じだった。

高校1年生までベット学習ではあったが、試験はあり、成績表もあった。

勉強は毎日自己学習(予習、復習)はあたりまえ!

試験の当日は朝5時に病棟の看護婦さんに起こしてもらって勉強をしていた。

よって、テストはほとんど満点!(笑)

なんでここまで勉強を怠らなかったかというと、1つに高野さんの影響があった。

高野さんはいつも勉強していた。

高野さんのように弁論がたつ人になりたかったのかもしれない。

毎日音楽を聴いて、勉強をし、ゆくゆくはバンドを結成したいという願望があった。

高校生になり、ベット学習から、電動車椅子が購入出来た事で、養護学校Aクラス(通いクラス)に編入することになった。

そして俺の第2の転機が訪れたのであった。











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最近深刻化してきている地球危機について様々な情報を基に地球の未来を考え、今何をしなければいけないのか? 日々模索しております。 もう時間がありません! 未来の子供を守るために・・・