さて!
久々のGAKUヒストリーです!
いよいよ北海道からの旅立ちです!
俺は5年生になっていた。
家族と離れて暮らすこと4年・・・
もうそろそろ家族の元に行ける日も近いと感じていた頃
母親から手紙が届いた。
こちらの病院に空きができました。
お父さんが北海道に迎えに行きます。
という内容だった。
5年生の終わり頃で春になっていた。
父親が来る何日か前に療養所でささやかな送別会をひらいてくれた。
家族と離れてほとんど家族が来ないような状態だった俺を
看護婦さんや保母さん達は親代わりになり、俺を育ててくれたのだ。
家族の元に帰りたい反面、療養所の人達との別れは辛く悲しかった。
俺はこの時かなり泣いた!
みんなの一言一言が胸にしみて悲しかった。
看護婦さん達は
いい子だったね。
家族も来ない中よく頑張ったね!
元気でいてね。
会いにきてね。
みんなみんな泣いていた。
そうこうしているうちに何日か過ぎ、親父が迎えに来た。
嬉しいような悲しいような気持ちでかなり動揺した。
みんなが玄関まで見送りに来てくれた。
みんなありがとう!
看護婦さんお世話になりました!
泣きながら病室を後にした。
タクシーの中で後部座席に座らされた。窓からは空しか見えなかったけど、みんなの声が
はっきりと聞こえてきた。
どの子も泣き声で
元気でね〜!!!😭
元気でね〜!!
と叫んでいた。
俺もみんなのいる方に向かって
姿を見る事は出来なかったけど
叫んでいた。
みんなありがとう〜!!😭
元気でね〜!!!
タクシーの運転手さんが
静かに ” じゃ 行きますよ。”
と言った。
タクシーは千歳空港へと走りだした。
俺は車中でひたすら泣いていた。
千歳空港から羽田空港へと向かう
初めての飛行機だった。
家族に会える!
という嬉しさよりもその時は北海道を離れ
今まで過ごして来た療養所を離れる寂しさで胸がいっぱいだった。
俺が初めて療養所に来た日
夜泣きじゃくる俺を添い寝して頭をなでてくれた看護師さん
いつも見守ってくれたスタッフの人たち
共に過ごしてきた友達
沢山の思い出が走馬灯のように頭を駆け抜けていった
さようならみんな・・・・・
こうして俺は羽田空港から両親のいる千葉県へと向かった。
GAKUヒストリー8につづく!
to be continue
SMAP STATION
最近深刻化してきている地球危機について様々な情報を基に地球の未来を考え、今何をしなければいけないのか? 日々模索しております。 もう時間がありません! 未来の子供を守るために・・・
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