GAKUヒストリー17

俺には偉大な先輩が二人も居ます。高野岳志さんと福島 あき江さんが居ます。

高野さん(高野 岳志 (たかの・たけし)

国立療養所S病院での自習時間の様子の写真

高野さんについてはガクヒストリー16でも書きました。


1957年6月 生まれ

1967年6月 国立療養所S病院に9歳で入院

1981年4月 宮崎障害者生活センター開設

1981年9月 病院を出て自立

1984年12月 死去

高野さんは、1981年4月に豊田障害者生活センターをモデルとした共同生活所を千葉市に宮崎障害者生活センターを開設し、その年の9月に1981年4月から共同生活を始めることとなりました。

56年2月、淑徳大(千葉市にある福祉系の大学)の生徒10数名が介助ボランティアに決まり、淑徳大の近くにアパートも借りて、障碍者の自立生活を確立を願ってノーマライゼーションの考えを基に活動をはじめました。

また、もう一人の偉大な先輩が福島 あき江さんです。


福島 あき江 (ふくしま・あきえ)

国立療養所S病院でのレクリエーション中の写真


1957年   群馬県前橋市生

1966年6月 国立療養所S病院に入院(小学3年)

1980年   ICYE(国際キリスト教青年交換連盟)のプログラムに応募 

1981(夏)〜82(秋)年

バークレー・ボストン・ハワイのCIL(ICYE=国際キリスト教青年交換連盟の海外研修制度)

1981年7月 出発

1983年2月 「共同生活ハウス」開始 

1987年7月  逝去 

1987年11月 『二十歳 もっと生きたい』刊行

1988年8月 『二十歳・もっと生きたい』日本テレビで放映。

福島さんは、1976年頃から施設を出ることを考え出し、高野君に次いで病院を出る決意を固めていました。

一方、私は高校を卒業し自分のこれからの人生を考えるようになった。

先輩達は自分の生きる道を模索し考え自分の死ぬ場所は療養所では無くあくまでも畳の上で死にたいと言ってましたし、自分のこれからの人生を真剣に考えていかななければならないと思い始めた頃でした。

病棟長に就任した俺は、常に病棟のみんなのに目が向くようになっていた。

何か問題や困ったがあればみんな俺に報告するようになっていた。

一番多かったのは車椅子の降車時間であった。

その頃病棟の療養者は決められた時間になると車椅子に移乗し、また車椅子からベッドに移乗したりしていた。午後車椅子からベッドに戻る時間が3時であった。

昼食を摂り、機能訓練がある日などはほとんど自由時間がない事になる。

ベッド上に上がってしまったらほとんど何も出来ないのだ。

降車時間をもっと遅くしてほしいというのだ。

この件については何度も病院に掛け合ったがなかなか時間の変更はしてもらえなかった。

人手不足という事で難しかったのだ。

しかし、根気強く交渉し土日祝日以外は30分延長してもらえる事になった。

そして一番問題になったのは、看護婦による暴言や雑な扱いだった。

忙しいのはよく分かるが、対応の仕方に傷つく療養者が多かった。

ガクヒストリーで以前書いたと思うが、人として扱われていなかった。

一部の看護婦ではあったが、ここで生活する私たちにとってその看護婦達からはとても人権を侵害されていた。

そこで俺はアンケートをとり、そう言った事を含めて、病院の院長、総婦長に話し合いを求めた。

みんな傷ついていた。

その事を分かってほしかったのだ。

話し合いの結果、その一部の暴言を吐く看護婦達は他の病棟へ移動となった。

そして総婦長は

「あなた達は長くは生きられないのだし、そんな中嫌な思いをしながら生活する事がないようにより良い生活を送れるように私たち含めみんなで考えていきましょう。」

と言ってくれた。

その後、療養所の生活はかなり改善された。

もはや暴言を吐く看護師はいなくなり、傷つく事もなくなった。

そしてその頃からボランティアさん達が療養所に来るようになった。彼らは福祉や保育の大学の学生達だった。彼らは看護婦さんが手が回らないような時に日常生活の手助けをしてくたり、話し相手になってくれたりした。

泊まりの外出もボランティアさんが付けば許可されるようになり、外出もしやすくなった。

だんだんと暮らしやすい環境になり、合わせて電動車椅子も普及してきたのでより自由な生活が送れるようになった。

しかし、俺はもっと違う自由を感じたかった。

病院という枠を超えた生活の自由だ。

そしてもっと広い世界を感じたかった。







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最近深刻化してきている地球危機について様々な情報を基に地球の未来を考え、今何をしなければいけないのか? 日々模索しております。 もう時間がありません! 未来の子供を守るために・・・