GAKUヒストリー16

高校生になった俺は、ベット学習から養護学校高等部(Aクラス)に編入し、しょっぱなから

いじめにあうというハプニングにみまわれたが、自分の力でなんとか回避しクラスに溶け込む事が出来た。電動車椅子を手に入れた俺は行動範囲が広がり、自分のいた第7病棟だけでなく、病院全体に交友関係も増えていった。そして自分の生活に余裕ができ、自分のやりたい事が急に溢れ出してきてしまった。

とりあえず俺は中学生の時から詩を書いたり音楽を聞いたりしていたので、さらにもっと進化させた何かがやりたかった。

そして俺は考えて曲を作り始めたのだ。日中誰もいない病室にラジカセを持ち込み、自分で作った歌を歌ってテープレコーダーに録音した。そのテープをピアノが出来る保母さんに頼み込んで、曲を譜面に起こしてもらっていたのだ。

しかし、ただ曲を作り譜面にしただけでは、ただの紙切れにすぎない。

それを曲にするためのは、ヴォーカルや、ドラムやギター、ベースなどの演奏者が必要だった。要するにバンドのようなものを作る必要があった。

高校生だった俺はバンドを作る勇気はまだなかった。

ただ自分で曲を作っては楽譜に起こしてもらい、パソコンに打ち込んで聞いて楽しんでいた。作詞も手掛け、作った曲はどんどん増えていった。

もう一つ俺には得意な事があった。

小さい頃から模写が得意だったのだ。

好きな漫画を読んで、気に入った漫画を模写し、楽しんでいた。

俺は、ひたすら自分の世界に没頭していった。

その頃、俺のいた病棟でひときわ目立って活動している青年がいた。

高野岳志 その人であった。

彼は病院で療養者による自治会を作り、常にその長となって活躍していた。

前にも触れたと思うが、高野さんはとても熱い人だった。

自分達の置かれた状況を彼はとことん納得していなかった。

常に療養者のあるべき姿を追求していたし、厳しかった。

俺はそんな高野さんを見て一目置いていたが近寄りがたい存在でもあった。

高野さんは趣味に没頭する俺を見てある日こう言及した。

「自分のやりたい事をやるのもいいけど、もうちょっと病棟の為に仕事をしなさい。」

俺は、高校生になってやっと電動車椅子で自由に自分のやりたい事が出来るようになったのに、これ以上誰からも縛られるのは我慢できなかったのだ。

やっと手に入れた自由。

ある日「あんたみたいな、卒業生にはなりたくない!」と言ってしまった。

しかし、高野さんには逆らえなかった。

結局俺は、高野さんのいう通り、病棟の事を考えるようになっていった。

高野さんは本気だったのだ。

高野さんが先頭となり、各病棟でいろいろな事を決める部所を作った。

・レクリエーション部

・広報部

この2つで病棟内の活動を作り上げていった。

それは、療養所の主体は患者であり、患者の生活の質の向上を目指し活動していくものだった。

俺は最初にレクリエーション部に入り、病棟行事などを担当した。

これは立候補というよりも推薦で決まってしまった。

みんなあまり積極的ではなく、出来るだけ目立たないようにしていた。

俺は推薦されて、嫌とも言えず引き受けるはめになってしまったのだ。

高野さんはまた志向会というものを作った。

俺はそういった活動もやらされる事になった。

実は最初俺はイヤイヤだったのだ。

しかし、何年もやっていくうちにその活動はやがて俺の人生を大きく変えていく事となった。

高野さんは俺より5歳年上だった。

俺が高校1年生の時、高野さんは20歳であった。

高野さんと共に活動した期間は約3年間くらいであった。

途中一年間くらいボイコットしたが・・・・

そして、俺が19歳の時に高野さんはある志を胸に抱き、病院から去っていってしまった。

そして俺は高校を卒業し、病棟での生活がかなり変わってしまった。

高野さんの去ってしまった後の病院は誰もが大人しくなってしまい、患者さんたちも自己主張をしなくなり、また元の嫌な雰囲気の療養所に戻ってしまったかのようだった。

俺は、やはり高野さんの力は凄かったのだなと改めて感じた。

そして、誰かがやらなければいけないと思った。

このままではまたあの、生きながら死んでいるような生活になってしまう。

俺は考えた。

自分がやるしかない・・・・・

そして俺は病棟長になっていた。

これは自分の意思で立候補したのだった。

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最近深刻化してきている地球危機について様々な情報を基に地球の未来を考え、今何をしなければいけないのか? 日々模索しております。 もう時間がありません! 未来の子供を守るために・・・