GAKUヒストリー15

養護学校の高等部に進んだ俺は、それまでベット学習だったのが、そこそこ成績を採れていたのと、電動車椅子が福祉で申請すれば補助金を受けられる様になり自分の電動車椅子を持つ事が出来る様になった事で、先生からAクラス(高等部の普通科)に編入してはどうか?という相談があった。

俺は内心すごく嬉しかった。

俺もやっと普通の高校に行って勉強できる!😆

決して、ベット学習がダメと言うわけではなかったのだが、やはり授業の時間数も全然違うし、ベット学習よりより多くの授業が受けられるのだ。

そういうわけで、俺は高校2年生から療養所に隣接する養護学校高等部(Aクラス)に編入する事になった。

因みに、Aクラスは養護学校に自分で通う事が出来て、普通高等学校と同じ授業内容(時間数)。Bクラスは重度心身障がいの子が通うクラス。Cクラスは自力で通学困難で療養所のベット上で、先生が来て授業を受けるクラスだった。

 高等部2年生の春、俺は電動車椅子に乗って、隣にある養護学校高等部へと向かった。

やっと通える事が嬉しくて、心はうきうきはずんでいた。

しかし、そこで待っていたのは・・・・俺の期待を見事に裏切るものであった。

Aクラスは俺を入れて9名であった。

最初に電動車椅子でクラスに入った時、一斉に俺はみんなの視線を集めた。

Aクラスには、普通に歩けて見た目どこも障がいがある様には見えない子達も何人かいた。

その子達は腎臓病を患っていたり、重度の喘息、膠原病、などの子達であり、3〜4人で固っていた。全く反対側には、車椅子の子達がやはり数人で固まっていた。

とても和気あいあいという感じではなかった。

俺はやな予感がした。

俺の居場所はいったいどこにあるのだろう・・・・・

その中でもネフローゼという腎臓病を患った女の子達がいて、唯一その子達だけは俺の事を気遣ってくれていた。

毎日、俺が車椅子で登校すると、教科書やノート、鉛筆を机の上に用意してくれたりした。

俺はいつもありがとうねと言って親しくする様になった。

すると、他の男どもが、嫌味を言ったり、冷やかすようになってきた。

俺は特に気にしないようにしていたのだが・・・・

ついにその日がやってきた。

朝、学校に行ったら俺の机がなかった。

すっぽり俺の机だけなくなっていたのだ。

俺は唖然として、あちこち探した。

すると、教室の隅に固まっていた、車椅子の連中がクスクス笑い出したのだ。

俺は他の生徒に俺の机を知らないか聞いて回った。

しかし、誰も下を向いてしまうか、黙ったままで教えてくれる人はいなかった。

俺はピンときた。

車椅子の連中がどこかに持って行ってしまったのだと思った。

車椅子の子達の中でも特に中心的な人物がいて、どうやら主犯格はそいつのような気がした。

その時俺は相当頭にきてしまった。

「お前らそんな事しか出来ない、低レベルだな!」

そしてクラスの全員に向かって言った。

「お前ら!最低だな!」

そして、再び自分で探しに行った。

机は、避難通路の一番隅にあり、探さないと見えない所にあった。

俺はその机を自分の車椅子で押して、自分の席の位置に戻した。

授業が始まってしまった。

俺の頭の中は、怒りで煮えたぎっていた。

とても勉強どころではなかった。

どうやって仕返しをしてやろうか・・・・・!

奴らの机を隠してやろうかとも考えたが、そんなもんじゃすまないなと思った。

障害者が障害者をいじめるなんて・・・・!

最低だな!

そして、その日のうちに俺は仕返しを実行した。

お昼休みまで待った。

療養所で昼食を終えた後、早めに学校に行き、その時を待った。

筋ジスの主犯格と思われるやつが仲間と中庭の隅にいた。

中庭の入り口のドアは空いていた。

俺は今だ!と思った。

「お前!よくもやってくれたな!!!」😡

そう言って、奴の車椅子のサイドブレーキを外し、中庭にでるスロープに向かっておっぺした!

(おっぺした!と言うのは 押した!という意味)

奴は「あ〜〜〜〜😱!!!!」と叫びながら。緩やかなスロープをゆっくりと降って行った。

最後に芝生の所まで行き、車椅子は止まった。

奴の頭はコテッと下を向いていた。

胸ベルトはしていたので、車椅子から落ちる事はないと分かっていた。

俺は上からその様子を黙って見ていた。

そして言った。

「もう二度と、俺にあんなことするなよ・・・」

すると、その様子を見ていた周りの同級生達が一斉に

「お〜〜〜!」😮

と言っていた。

その件があってからというもの、俺に対するクラスのみんなの接し方がガラリと変わった。

みんな、何事もなかったかのように、俺の面倒を見てくれるようになったのだ。

そして、クラスの雰囲気もその件以来ガラリと変わり、和気あいあいとした雰囲気になった。

俺の気のせいかもしれないが・・・・・

最初の頃の違和感は無くなっていた。

主犯格と思われていた子とはその後仲良くなった。

後に、その時の件について聞いてみたところ、

彼はこう言っていた。

「頭のいい子が編入してくるから、仲良くしなさい。と先生が言っていた。Cクラスから来た奴が、Aクラスで通用するわけないから、嫌がらせをしてやろうと思ってやった・・・」

どうやら、Cクラスを下にみていたらしい。

CクラスからAクラスになんて無理だと思っていたみたいだった。

確かに、授業の時間数などCクラスとAクラスでは違いがあり、圧倒的にAクラスの方が多かったのだ、普通に大学に進学する子もいた。

今になって思えば、養護学校で授業時間などでクラス分けするのもおかしな話で、

そこに差別的な要素がどうしても入ってきてしまう。

身体の障がいの度合いによって教育に差をつけてしまうのはやはりおかしいと思う。

どの子にも平等に教育を受ける権利はあるはずなのだ。

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最近深刻化してきている地球危機について様々な情報を基に地球の未来を考え、今何をしなければいけないのか? 日々模索しております。 もう時間がありません! 未来の子供を守るために・・・