GAKUヒストリー9

家族と過ごすのも約2週間ちょっと・・・

俺は、また家族と離れて療養所生活に戻ることになった。

そこは、関東では有名な筋ジストロフィー症専門の養護学校が併設されている国立療養所であった。

当初は木造でもともとは軍の施設でかなり歴史のある病院だった。

その中でも筋ジストロフィー症の患者のいる病棟は2階建てで30人から40人の間くらいの患者が療養していた。

小学生から成人までの患者で、ほとんどが筋ジストロフィー症のドゥシャンヌ型。

初めて療養所に行った日。

病院を見て唖然とした!

病院全体が暗いのだ。

木造でできていた療養所はとても古く渡り廊下がコンクリートで出来ていて、あちらこちら穴や段差があり、まるでお化け屋敷のように見えた・・・

父親と母親に連れられ、はじめに療養所の説明を院長先生と看護婦長さんから受けた。

その後療養所内を案内され、病棟内を回った。

そこにいた患者達は一様に俺をみて、なんだ!?こいつ!

というような顔をしていた。

そこは独特な雰囲気をかもしだしたていて、俺にはすごく怖く感じた。

一通り案内された後で自分が生活する病室に案内された。

そこで院長先生と看護婦長さんは席を外し、家族3人になった・・・

このシーン  遠い記憶が蘇ってきた・・・

あれは5年前北海道で初めて療養所に行った時の事だ。

家族で楽しく俺を囲んでたわいもない話をしていた。

そして、ちょっと買い物に行ってくるねと言い部屋を出ていったきり

帰ってこなかった・・・・・

あの時の苦しく切ない思いが蘇ってきた。

俺は出来ればここにはいたくないし帰りたい・・・と訴えた。

両親は顔を見合わせ困ったような顔をした。

それから両親と今後の生活について話し合いをした。

俺は二度とあのような悲しい思いはしたくないし家に帰りたいと訴えた。

しかし両親は、ただひたすら俺の訴えに対してかたくなにそれは出来ないというばかりだった。

何故弟や妹は家にいるのに俺だけが病院にいなければいけないのか!?

俺は納得がいかなかったのだ!

こんな理不尽な事があってたまるものか!

と悔しくて悔しくて半泣き状態だった・・・

それに対し両親は返す言葉はなくただ黙っていた・・・・

しばらくしてから


来られる時はちょくちょく来るし、前の北海道のような事は無いから・・・いい子でいるんだよ。


と言われた。

そうこうしているうちに夕飯が来た。

夕食を見てから帰るね!

と言って俺が夕食を食べるのを隣で見ていた。

俺は当然の事ながら食欲など無く・・・・

ひたすら無言で半分くらい食べてやめてしまった。

そして食べ終わるとまた来るねと言って両親は帰っていった。

俺は悲しく不安な気持ちでいっぱいだった。

夜勤の看護婦さんが来た。

新しく入った子ね!よろしくね!

なにかあったら呼んでちょうだいね!

と言ってお茶を置いていった。


9時に消灯で明かりが消えた。

薄暗い病室の中でさまざまな事を考えていた。

つかの間の家族と過ごした2週間の事や、これからの療養所での生活はどんな風になるのか!?

頭の中はぐちゃぐちゃで疲れ果てていた。

いつのまにか深い眠りに入っていった。


     to be continue





 



0コメント

  • 1000 / 1000

SMAP STATION

最近深刻化してきている地球危機について様々な情報を基に地球の未来を考え、今何をしなければいけないのか? 日々模索しております。 もう時間がありません! 未来の子供を守るために・・・