またまた、ながらくお待たせいたしました!
前回は療養生活の様子を書きました。
今回も引き続き北海道での療養生活を語っていこうと思います。
北海道での療養生活も徐々に慣れていきました。
月曜日から金曜日までは隣接する養護学校に通いました。
療養所から養護学校まではなが~い渡り廊下でつながれていました。
そこを、毎日僅かに動く両腕で車椅子を漕ぎ えっちらこっちらと70mくらいの距離を
20分くらいかけて通いました。
真冬の寒い頃は、ようやく教室にたどり着くと手がかじかんでしまい、鉛筆を
握る事が出来なくて、1限目はノートに書く事が出来ませんでした。
冬は寒く熊が出ると言われていたので一切外出は出来ませんでした。
そのてん 夏は梅雨も無く、カラッとした天気が続くとベランダに出て日光浴を
したりしていました。
簡易のビニールプールで水遊びをしている子供の様子を眺めたりしていました。
病院の中庭には池のようなものがあり、そこにビニールシートをかぶせて
プールのような状態にして遊ばせていました。
俺は入る事も無く、眺めているだけだったけど、療養所では季節の行事は
よくやっていたと思う。
例えばひな祭りや、子供の日、七夕など。
四季を感じさせる行事で看護婦さんや保母さん達が一生懸命に楽しませようと
してくれていた。
記憶が定かではないけれどいろいろとみんなやっていてくれていたと思います。
本当にありがたかったです。
療養所生活はひたすら流されそれについていく生活で
俺は自発的に何かをするということはなかった。
だから、さめた子供だったしその頃からおっさんみたいだった。
周りの人からは、大人しく子供っぽくないと言われた。
いわゆる手のかからないおりこうさん。
でも、じっと周りを眺めながらいろいろな事を考えていたのだ。
ただそれを語らなかったし、語る相手もいなかった。
唯一親友のような存在だった聾唖の方は、出会って2年くらいしたら
病院からいなくなってしまった。
それからはますます孤独となり、自由時間は一人でいる事がほとんどで
絵を描いたり、本を読んだりしていました。
一度だけ・・・・
夏休みに父親と弟が北海道にやってきた事があった。
いきなりの事で、前もって連絡もなくだ。
俺はびっくりしてしまった!
涙が出るより驚きのほうが強く、
今晩は泊まっていくから、と言い一晩だけ
3人で過ごした。
6歳の時に分かれて3年が経過していた。
俺は正直親父の顔も弟の顔もほとんど忘れかけていたのだ・・・・
どんな会話をしたのかほとんど覚えていない。
次の日の昼頃 いよいよお別れの時が来た。
親父は一言二言こう言ったのははっきり覚えている。
「千葉での生活が落ち着いて、むこうの療養所の空きがでたら
必ず迎えに来るよ。」
俺は黙ってうなずいた。
前のように泣いたりする事はなかった。
親父と弟は多分後ろ髪引かれる思いで帰っていったと思う。
それからというもの 俺はいつ迎えに来るのかと
毎日そればかりを考えながら生きていた。
ところで今ふと!
思い出したのだが!
この頃奇妙な出会いをしている!
病室のベットで一人きりの時、ふと真向かいのベットの脇の棚の下を見た。
そこには!
5cmくらいのステテコにらくだ色の腹巻き
白い半袖下着のハゲのおじさんがいたのだ!
俺は周りを見渡し誰か俺の他に気づいた人がいないか見回したが!
その部屋には俺しかいなかった!
その親父は
ケッケッケッと2、3回笑い すっと姿を消した!
しばらくするとまた現れて!ケッケッケッと笑い 消えていった。
そんな事が3回くらいあった。
でもそんな話は誰にも出来ず、今の今まで封印してきたのだ!
最近しろくまさんに封印していたこの頃の話をしたところ!
え!!!!
小さいおじさんは見える人には見えるらしいよ!
芸能人とかも見たと言ってる人がいるよ!
と言われて ネットで調べてみたら!
俺の見たおじさんと同じような風貌だった・・・・
まじか・・・・・
こんな感じで北海道での療養生活を送ってきました。
次回は北海道からの旅立ち!
という事で今回はここまで!
お読みいただきありがとうございました!😁
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最近深刻化してきている地球危機について様々な情報を基に地球の未来を考え、今何をしなければいけないのか? 日々模索しております。 もう時間がありません! 未来の子供を守るために・・・
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